慶応通信×仕事×子育て 4年で卒業した話

 学問は米をつきながらもできるものなり 福沢諭吉

社会人大学生 卒論どうする?

テーマ、先行研究・・同時進行?

「卒論のテーマは決まってますか?」入学式の日に声をかけていただいたある慶友会の会長さん。Hana「はあ、まあ学びたいことがあってこちらにきたので・・ただ、アプローチはまだ・・考えていません」。そうZE~RO~(ぜーろー)ですよ。学友さんの中には、「このテーマでの卒論を〇〇先生のご指導のもと、書きたいので、慶応にきました!。」という方もいれば、当然「卒論って何から始めればいいの?」という方まで、これもまた百人百様。理系出身の方は、文系の論文との違いに戸惑うこともあると、現役医師の学友さんはおしゃっていたし・・。なかなか、ムズカシイ。ただ、興味や関心があることを、それを「何でだろう」と考えること、それがHanaにとっての出発点。あとは、不思議?偶然?というか、同じように「何でだろう」とお考えになっている先人達もいらっしゃるのではないか・・と考え調べてみる。出てくる出てくる。この先人の論文読み(先行研究)に時間をかけたな。「答えなんて出っちゃってるやん!それ・・(;'∀')。」の繰り返し。既に正解がでているのを教わるのでは、卒論にならない。そこからさらに、自分自身で問い直しの繰り返し。Hanaは指導登録前後から、先行研究を同時に始めていたけれど、第一回目の指導日には、Hana「実は既に先行研究でこのようなものがありまして‥既に提出した章立ては変更せざるを得ません・・(しどろもどろ)・・」という始末。ただ、Hanaには、どうしても指導をお願いしたい教授がいて、これが予備指導となり、「ダメだね」と言われたら、もう半年練り直すつもりでいた。なぜなら、前出の会長さんに「Hanaさん、そのテーマなら○〇学じゃなくて、〇〇学で書けるんじゃないかな?」と言われたあの日から担当教授の書籍や論文を読んでいて、〇〇学にのめり込んでいった経緯があったからだ。「さて、ここからどうしよう?」。このように普通の大学生と異なりゼミに入り、先輩やら担当教授に気軽に質問ができない慶応通信の卒業論文。ここから先は、孤独で楽しむ「独楽学」を少し広げることをおススメしたい。

「一人ぼっち勉」から「半学半教」へ

そう、諭吉先生の「半学半教」精神。一人一人が先生となり、先に学んだ者が、後から学ぶものに教えるというもの。ぼっち勉強が好きなHanaは、慶友会なるものは入会はしたものの、勉強会やらイベントは参加しなかった。けれど、卒論だけは別。なぜなら、レポートと違い、三回の指導の間が半年も空く。その間、方向性が合っておらず、とんでもないことになっているやもしれぬ不安との戦いを、孤軍奮闘するのは、相当キツイ。同期の学友さん達は、「卒論にはリーチしてないのでお力になれず」と。夫も毎週末、Hanaの「どうしよう?」に付き合ってくれたけど、「卒論の領域になると、専門分野が違うと安易に答えられない」なんて、真面目に言うし・・。そんな袋小路状態となり、ボッチ度(一人ぼっち度)を少し広げて、慶友会のつながりで、いろいろと質問できる機会をつくっていった。加えて、これはあまり一般的ではないケースかもしれないが、Hanaの担当教授はゼミ形式で卒論指導してくださったこともあり、ゼミLINEグループができた。「半学半教」精神で、お互い教え合って、学び合って、高め合っていけたことは、最高の学びだったといえる。他にもスクで先生をつかまえて質問する。卒論を書き終えた人に質問する。ここからは、教員や学友さんとのつながりを遠慮なく、躊躇することなく求めていった方が100倍楽しくなる。そして卒業後もそのつながりが続いていくことが社会人大学生の巨大な副産物なのではないだろうか。人とのつながりが希薄な現代社会において、同じ学問領域で話ができる仲間ができるという充実感は、入学前には想像もつかないことだった。「卒業」が副産物だったかもしれないと思うほどの重みなのである。そう、だからこそ「卒論、どうする?」と孤独に考えることからボッチ度を自分の許容範囲まで広げて共に学んでみてはいかがでしょうか?生き方が変わるような出会いがありますように。

まとめ

半学半教・・

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

皆さまが、「とにかく楽しく!」社会人大学生を送ることができ、誰かや何かに出会うことで人生がより豊かになりますよう心よりお祈り申し上げます。

読者になっていただいた方には、公開質疑応答という形でお答えできる範囲で質問もお受けします。匿名で構いません。

                            2024夏 Hanamizuki