目標や目的、スタート、ゴールは”百人百様″
Hanaの場合、極論を言えば仕事をしながら学べるところであればどこでも良かった。これからの時代は、老後が長くなると予想し始めた頃から学びへの思いが強くなったことは確かである。知恵も知識もブラッシュアップしたほうが、老後は豊かなのではないか?と・・。加えて、虐待やいじめによる自殺、ひきこもり、不登校、教育という名の教育虐待等、子どもの悲しいニュースを見聞きする度、「何でよ!??」という憤りが日に日に増していった。その一方で裕福で温かい家庭に恵まれ、厳しい受験戦争をも経ずに、長期休暇には海外で家族のんびり過ごしながら高等教育を終える子どもがHanaの周囲には少なくなかった。そのように答えがありそうで、なさそうなことに悶々とする毎日だった。なぜか。そのどれもが原因が単純ではなく、「目に見えない何か」がわからないからであった。慶応を選んだ理由は、その問いに答えてくれそうな気がしたのである。そう、つまりHanaにとっての慶応通信への入学は、「見えない何かを知る」ということへの探究心そのものであった。加えて課題の本質は何かを見極めることができる洞察力を磨きたかったから。そう、Hanaの入学目的は卒業することではなく、私の「何でよ!」への答えを探す生涯学習の一環であったのだ。
慶応通信には、様々な目標や目的を胸に秘め、学んでいる人が多数存在する為、浅はかなカテゴライズは厳しいご指摘を受けそうである。しかしながら、目的や目標が違えば学びの仕方、単位の取り方、卒論への取組も異なるため、それぞれの目的や目標に一番近いものを選ぶと楽しい道のりになるのではないだろうか。そしてそれがどのような目的(スタートorゴール)であっても機会の扉は無数にあるのが、慶応通信の特徴かもしれない。また世代、性別の隔てなく闊達に人と人とが交わるという気風もそこにはあった。その中で知り得たことは、目標や目的等、学びに対するニーズは多様化しているということ。だから、理由などあってもなくても、どちらでもいい。いずれにしても、人生を豊かに彩る何かの扉のひとつではありそうだ。数ある中の一つの情報として参考になれば嬉しいかぎり。